ももクロとの時代-2014年から10年目-

黄推しモノノフ と株

ももクロを考えてみる(その20−2:青山ワンセグ開発その2)

この番組でのももクロMCは、2012年春(*1)から始まった。
そう、僕がももクロにハマったのも、2012春である。
そう考えると、僕のももクロの歴史は、
この番組と共にある。

と、個人的なことはどうでもいい。
この番組は、ももクロのMC能力の
発展の歴史といったら言い過ぎかな?

特に高城のれにちゃん。

番組収録は、基本録画である。
しかし、各月の最終戦は、リアルタイムの
投票で決着をつけるために、深夜の生放送になる。
そこで、年齢的に生放送ができるのは、
今では、ももたかぎであるが、2回(確か)ほどは、
ももクロからは、れにちゃん一人での対応であった。

初めての単独MC。
そして何故か、ボビー・オロゴンさんもMC。(*2)
見るからに不安そうな顔。
見るからに、堅くなって表情をなくした顔。
そして、視線は、ずっと画面の左下から動かない。
そこには、カンペが出ていたんだろうね。
その日の30分は、見ていて本当に長かった。
終わった瞬間、ホッとした。
ももクロを称して、「がんばっている姪っ子」のようだと
時々言われるが。
ホント、そのときはそんな気がした。

そんなれにちゃんも、2回目の単独MCは、
カンペを凝視する瞬間も少なくなり、
そして3回目からは、かなこ↑↑が参加した。
ももたかぎコンビになって、れにちゃんの
嬉しそうな顔が、画面からはみ出ているようだった。

この番組は、5人でMCをするときもあれば、
色んな組み合わせの2名でMCをする事もある。
その組み合わせで、雰囲気が変わるのを
楽しむことができるのも、この番組の
見所と思う。

昨年末、NHKによる紅白ドッキリの映像には、
多くのモノノフ涙したと思う。
当日メンバーは、この番組の打ち合わせ名目で、
NHKに集まった。
NHKに行くのに自然な理由があったんだ。
もしかしたら、この番組が無かったら、
あのドッキリは無かったかもしれない。
だとしたら、かなこぉ↑のあの名言
「涙を返して」も生まれなかったかもしれない。
そう考えただけでも、価値のある番組だね。


(写真は最近の高城さんのブログから。相変わらずです)


注*1:番組そのものは、既に始まっていたが、
別の人がMCだった。
注*2:(確か。1回目は。うろ覚えです。出たのは確定)
この人選。人選した人が、楽しんでるのか?
いじめているのか?成り立つのか?ドキドキもんだった。