ももクロとの時代-2014年から10年目-

黄推しモノノフ と株

2021年3月11日;昨日のことになったけど

僕が、これは死ぬなと自分で思ったのは、2回だけ。

たぶん、今思い出すのは。

今でも覚えていることは。その時そう思っても、今覚えていないのは、

結局大したことなかったんだろう。

 

最初は、道に急に飛び出して。

僕のすぐそばで、車の急ブレーキの音が聞こえた時。

でも、その時は子供だったから、あまり死ぬことは考えなくて、

後になって思い出して、危なかったと。

驚いた眼をした運転手の顔見えたからね。

 

そしてもう一回は。

あの年の3月11日。

ビルの4階にいて、古いビルだったから、ビル自体が悲鳴を上げて。

あーここで死ぬかもしれないなと。

もう、いい大人だったので、ある意味冷静にそう思いながら、階段を下りた。

 

その時の、ビルの悲鳴は忘れられない。

 

それ以上に忘れられないのは、揺れが収まってから観たTVから流れた津波の映像。

現実とは思わず、何かの映画としか思えなかった。

 

東日本大震災以前にも、阪神淡路があり、そのあとも被害を出した地震や台風和あったけど。

 

東日本大震災以降に、その頻度が多くなり、その被害が大きくなっている気がするんだけど。

何かの始まりかもしれない。

でも、悲観的になるのはよそう。

 

新聞を見れば、TVを見れば、

被災地の復興はまだまだと伝えている。

 

僕ができることは限られているが、

あの日の後、僕はももクロに出会い。

 

女川に行き、

浪江に行き。

 

行っただけでは何もできないけれど。

それでも、忘れないようにしないと。

復興を信じている人たちがいることを何もできないながらも、少しでも応援してゆこう。

 

今週末には、JA浪江が、浪江町でイベントを開く。

今回は、東北在住者限定なので、僕は行く資格がないけど。

 

来春には、延期を繰り返した春一が開催されることを信じていよう。

その時、浪江町広野町楢葉町に行こう。

いろんな特産品を買うお金を今から貯めておく。