僕が、これは死ぬなと自分で思ったのは、2回だけ。
たぶん、今思い出すのは。
今でも覚えていることは。その時そう思っても、今覚えていないのは、
結局大したことなかったんだろう。
最初は、道に急に飛び出して。
僕のすぐそばで、車の急ブレーキの音が聞こえた時。
でも、その時は子供だったから、あまり死ぬことは考えなくて、
後になって思い出して、危なかったと。
驚いた眼をした運転手の顔見えたからね。
そしてもう一回は。
あの年の3月11日。
ビルの4階にいて、古いビルだったから、ビル自体が悲鳴を上げて。
あーここで死ぬかもしれないなと。
もう、いい大人だったので、ある意味冷静にそう思いながら、階段を下りた。
その時の、ビルの悲鳴は忘れられない。
それ以上に忘れられないのは、揺れが収まってから観たTVから流れた津波の映像。
現実とは思わず、何かの映画としか思えなかった。
東日本大震災以前にも、阪神淡路があり、そのあとも被害を出した地震や台風和あったけど。
東日本大震災以降に、その頻度が多くなり、その被害が大きくなっている気がするんだけど。
何かの始まりかもしれない。
でも、悲観的になるのはよそう。
新聞を見れば、TVを見れば、
被災地の復興はまだまだと伝えている。
僕ができることは限られているが、
あの日の後、僕はももクロに出会い。
女川に行き、
浪江に行き。
行っただけでは何もできないけれど。
それでも、忘れないようにしないと。
復興を信じている人たちがいることを何もできないながらも、少しでも応援してゆこう。
今週末には、JA浪江が、浪江町でイベントを開く。
今回は、東北在住者限定なので、僕は行く資格がないけど。
来春には、延期を繰り返した春一が開催されることを信じていよう。
いろんな特産品を買うお金を今から貯めておく。