2022年ももクロが14周年。
つまり僕がももクロにハマって10周年だ。
おめでとう、自分。
今までも何回も書いてきたことだけど。
2012年1月の時点では、ももクロに良い印象はなかった。
でも、不思議なもので、遅くとの4月には気になっていた。3月からだったかもしれない。1月には良い印象無かったのになぜだかほんの数か月後。
何故か、僕はこの娘たち(当時はね、今はこの人たちと呼ぶ)を応援しなければならないと思うようにっていた。
でもみんなが陥る問題。
当時の僕は、いわゆる女の子アイドルを応援していいのか?の自問自答。
当時あーちゃんは中学生。
ズバリ言おう。当時の僕は、自分はロリコンだと認識するのが怖かったし、戸惑ったし、葛藤が。
それでも、応援しなければいけないという、責任感が強まり。
2012年5月29日。
ももクロにハマる前は、サッカーだった。
サッカーの前は野球。
どれも、数年で知らない間に、興味が無くなっていた。
だから、ももクロへの興味も、数年で終わると思っていた。
そしてなぜブログにも残そうと思ったのは、10年後の自分に2012年にももクロにハマったことを思い出すためだった。10年後の自分に、10年前の自分を残しておこうと思った。それほど、当時ももクロにハマった自分がある意味貴重だった。
10年経った。
10年ハマったままだった。
興味を保ったままだった。
何故だろう?
応援しなければいけないと思わせる魅力はあると思う。
この娘たちを護ってあげて、この娘たちの笑顔を絶やさせないようにと。
そう思わせる魅力はある。
そのうえで、
色々あった。
ももクロにもあった。
僕にもあった。
2012年年末の紅白初出場の時。
地球を胸に、”あかり”をともした時。
僕は、ももクロが紅白に出る夢をかなえる瞬間に立ち会えた喜びと、
既にいなかった早見さんを振り返ることの感動を味わった。
そして、年明け早々に旧国立の前で、いつか国立でと百田さんが宣言した時。
この二つが、ももクロにハマってから比較的に浅い段階で体験できたのが大きかったんだと思う。特に、(旧)国立の夢の存在ができたことが。
紅白の夢をかなえた後は、(旧)国立の夢を見よう。実現しよう。それまでは、ファンでいよう。
『ももクロの夢は、モノノフの夢』この言葉は、当時からあった。
2013年冬。極寒の西武球場。
幸運にも、僕は現地でももクロに、(旧)国立の名前を叫ぶことができた。
そのあとスクリーンに映された(旧)国立の青空と、会場に流れた『あの空に向かって』の歌に涙した。
定期的に感動を与えてくれるももクロ。興味を失う暇さえなかった。
明けて2014年。3月には国立が待ってる年。
僕の人生で、最悪なことが起こった。
今でもそれを超える悪いことは起こっていない。
奈落の底に突き落とされて、底がどこにあるのかさえも感じられず。
世界中の不幸を、自分ひとりに降りかかっているんじゃないかという感情。
普通ならなんでもない一言が、針のように感じてしまう心の状態。
それを救ってくれたのが、
自分の娘であり、ももクロだった。
深夜の街を徘徊した。
ある時、見上げれば(旧)国立だった。
ライブの準備が進み、看板や旗が目に入った。
幸運にもチケットは持っていた。
参加するのに悩みもしたが、
最後は参加することを選んだ。
ももクロは、僕の心を救ってくれた。
よくももクロは、巫女や天使や、女神と言われるけど。
僕にとっては、リアルな救い主だ。
その時から、ももクロは僕には無くてはならない存在であり、
自分の生活の中に常に存在。
僕を救ってくれた人たちを、僕の方からさよならを言うことなんかないよ。
そして2014年から4年後の2018年。
今度はももクロに。
年明け早々の青天の霹靂。
永遠と信じて疑わなかったことが、永遠なんてものはないと突き放された日。
僕は、幕張のLV会場にいた。
他人の前では泣かなかった百田さんが。
その口から涙声が聞こえた瞬間に、僕の涙は限度が無くなった。
大げさに言えば、全世界が無音のまま嗚咽したように感じた。
14年のことは永遠の問題ではない。
ただ順番が違ったのと、心の準備ができていなかっただけだ。
日本人の平均寿命は男性よりも女性のほうが圧倒的に長い。
だから僕が先に逝くと勝手に思っていた。
僕がいなくなってから、奥さんは僕から解放されて自由気ままに生きてほしいと勝手に思っていただけ。今思えば、わがままな考えだ。
ももクロの場合は、『永遠』が良く似合う。それが当然と思っていた。
でもそれは幻だった。
2月にバレイベ、4月に春一、そして5月のは、10周年の東京ドーム。
僕でさえ目の前が真っ暗になったんだ、4人の目の前はどのくらいの闇が拡がったんだろう?
今度は僕の番だ。
僕ができることは微々たるもので、何の役に立たないかもしれないが。
今、ももクロを支えないといつ支えるんだ。
大げさに言えば、ももクロのファンが離れていきいなくなったとしても、最後の一人になっても、僕はももクロのファンであり続ける。
大げさだけど、ももクロから受け取ったものは、何倍にもして返さないと。
未だ混乱の真っ最中だった、バレイベを何とか終え。
東近江での春一。
灰ダイで、佐々木さんが、巻かれてもーと歌いあげた時に、僕はももクロはもう大丈夫と思った。
そして東京ドーム。
あの日涙声だった百田さんの、『お前ら全員ついてこい!』
(僕は残念ながらチケット取れなくて現地にいなかったけど)
ついて行きますよ。
何かあったら、微力でも支えますよ。
その後のコロナ禍を乗り越えるてきたことも含め、全く飽きない。
うん、永遠だ。僕の想いは永遠にだ。