ももクロとの時代-2014年から10年目-

黄推しモノノフ と株

あの日も今日も終点駅;2019年11月24日 浪江

あの日降り立った女川駅は終点駅だった。

女川の名前を知ったのは、ももクロで、

彼女たちが、女川の地域のお祭りに出たので知った。

出ることを知っていたが、その頃の僕は、

まだそんなに、ももクロに自分を突っ込んでいなかった。

東京からの女川は遠すぎたし。

 

それから少したったある日。

ほぼ徹夜でレポートをまとめて、

お客にメールし、事務所で仮眠した。

 

1~2時間で目覚めたら早朝。

本来ならそのまま事務所に残って、

送ったレポートのお客の反応を確認するのが正しいのだが。

限界だった。

今日一日会社にいられない。

今から遠くへ行きたい。

そして思いついたのが、女川だった。

 

震災からの復興が進んで、

新しい駅舎が完成し、電車で行けるようになり。

駅前は、きれいに整備されていた。

女川丼を食べて帰ってきた。

 

そこからもいろいろあったけど、

今があるのは、ももクロのおかげだ。

 

だから僕は、ももクロに恩返しがしたいし。

ももクロが、浪江町や福島に手を差し伸べるのなら、

僕は、恩返しの代わりにと、ももクロが行くところに行く。

行っても、たいして何もできないんだけどね。

 

だから今日は、浪江町

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浪江駅 曇っているが、雨は止んだ空

仙台経由で来たから浪江駅は、終点駅。

東京から時間的には、地の果てだった。

女川が、東京から見て地の果て(ごめんなさい)は解るの。

東京から見たら、北に向かって行った先にあるから。

でもなぜ今、浪江が時間的に地の果てか?

鉄道で行こうとすると東京から見て、いったん仙台まで出て、

そこから南に下りてくるしかないんだ。

今は。

今も。

仙台から浪江に近くなる。

一見普通だが、よく見ると朽ちかけた廃屋が目に残る。

 

ある意味、あの日の女川よりも復興は、進んでいない。

原発か。

 

実際僕は何ができたか?

シラスを買って、そして浪江やきそばを食べたぐらい。

もう少し、名産品を買いたかった。

 

ももクロのライブが終わったら、イベントそのものも終わって、

屋台が撤収してるんだもん。

 

確かに、浪江についたのが、

ライブぎりぎりだったのは、僕の、

いつもの通りですよ。

でもね、言い訳を言わせてもらえれば、浪江に行く時刻表が、

2時間に1本なんですよ。

そこでも、孤島化か。

 

来年また来ます。

春一のチケットが当選するのが、先決だけど。

その頃には、上野から開通してるかな?

より早い復興を。

 

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縁起物

縁起を担いで、7並びにしてみました。

 

本当はね、1本前、

つまり2時間前に浪江につくこともできたんだけど、

仙台駅で、

色々心の準備ができていなくて、パスした。