あの日降り立った女川駅は終点駅だった。
女川の名前を知ったのは、ももクロで、
彼女たちが、女川の地域のお祭りに出たので知った。
出ることを知っていたが、その頃の僕は、
まだそんなに、ももクロに自分を突っ込んでいなかった。
東京からの女川は遠すぎたし。
それから少したったある日。
ほぼ徹夜でレポートをまとめて、
お客にメールし、事務所で仮眠した。
1~2時間で目覚めたら早朝。
本来ならそのまま事務所に残って、
送ったレポートのお客の反応を確認するのが正しいのだが。
限界だった。
今日一日会社にいられない。
今から遠くへ行きたい。
そして思いついたのが、女川だった。
震災からの復興が進んで、
新しい駅舎が完成し、電車で行けるようになり。
駅前は、きれいに整備されていた。
女川丼を食べて帰ってきた。
そこからもいろいろあったけど、
今があるのは、ももクロのおかげだ。
だから僕は、ももクロに恩返しがしたいし。
僕は、恩返しの代わりにと、ももクロが行くところに行く。
行っても、たいして何もできないんだけどね。
だから今日は、浪江町。
仙台経由で来たから浪江駅は、終点駅。
東京から時間的には、地の果てだった。
女川が、東京から見て地の果て(ごめんなさい)は解るの。
東京から見たら、北に向かって行った先にあるから。
でもなぜ今、浪江が時間的に地の果てか?
鉄道で行こうとすると東京から見て、いったん仙台まで出て、
そこから南に下りてくるしかないんだ。
今は。
今も。
仙台から浪江に近くなる。
一見普通だが、よく見ると朽ちかけた廃屋が目に残る。
ある意味、あの日の女川よりも復興は、進んでいない。
原発か。
実際僕は何ができたか?
シラスを買って、そして浪江やきそばを食べたぐらい。
もう少し、名産品を買いたかった。
ももクロのライブが終わったら、イベントそのものも終わって、
屋台が撤収してるんだもん。
確かに、浪江についたのが、
ライブぎりぎりだったのは、僕の、
いつもの通りですよ。
でもね、言い訳を言わせてもらえれば、浪江に行く時刻表が、
2時間に1本なんですよ。
そこでも、孤島化か。
来年また来ます。
春一のチケットが当選するのが、先決だけど。
その頃には、上野から開通してるかな?
より早い復興を。
縁起を担いで、7並びにしてみました。
本当はね、1本前、
つまり2時間前に浪江につくこともできたんだけど、
仙台駅で、
色々心の準備ができていなくて、パスした。