Twitterで盛り上がっているので。
この話は何度でも書いたけど。
かなり古い話なので、若しかしたら前に書いた話と細かいとこ変わってるかもしれない。
どんな時も、記憶は美しいものだ。
*『あかりんに贈る歌』の動画は大きかった。
当時、個人的に心がどん底で。
それまで泣いたことはあったけど、それは感動映画を見たときとかで。自分が苦しい時や、辛い時には、”男子たるもの涙は見せてはいけない”。そんなに大きな決意で思っていたものではなかったが、それでも泣くまいと思っていたが。
このままでは心が壊れるので、一回涙を流して心を洗い流すしか立ち直れなくなると思い込み、グーグルに”泣ける動画”と入れたら『あかりんに贈る歌』の動画がお勧めに出てきて。
大泣き。こんなに涙って出るんだって思うぐらい涙が出て。
今はなくなったあそこにあったネットカフェの個室。当時は独りになりたくて、よくネットカフェに逃げ込んでいた。
*同じような時期に見た某最大手動画サイトに上がっていたももクロを勝手に応援する動画の影響も大きい。たまたま見て、(ネットカフェの個室で、目的もなく流れている動画見ていた)こんなへんてこりんな踊りを踊らされて、かわいそうだなこの子たちは。それが回答を踊るももクロで。
*多分この二つは、2011年。
*2011年末や2012年年始.
ももクリ2011 SSAの記事をネットで見て、どうせアイドルの実績作りで、集客二の次でしょ。と悪態をついていた。
*それが、いつしか気になる存在に変わり、2012年5月に、自分で自分に対し、君はももクロにハマったんだ、事実を認めなさいと伝える。それまでは、いい年のおっさんが、若い女性アイドルにハマるなんてみっともないと思っていたので。
*なぜか、ももクロは紅白に出るから、それまでにももクロにハマっておかないと、間に合わないとの妙な感情も当時生まれていた。
*2011年の自分が、人生の2番目に深い闇だったとしたら、2014年に人生で一番深い闇が訪れた。この時も、すくってくれたのはももクロ、そして自分の娘。
*だから僕にとってももクロは、人生を救ってくれたかけがえのない存在。
*新型コロナで、非常事態宣言が出た最初の夏。あーちゃんは、動画を頻繁に上げたけど。それは、何もしないと、忘れ去られるんじゃないかとの共振からだったと言っている。
*ももクロは、時々、いつまでファン、モノノフでいてくれますか?と問いかけてくる時がある。
そんなこと心配しないで。
忘れることなんかないから。
永遠にモノノフだから。
ももクロの皆さんは、僕を救ってくれた人だから。
今があるのは、皆さんのおかげなんだから。
安心して。
そして僕たちを頼って。
お返しをしたいと、いつも思ってるんだから。
ずっとその背中について行くから。
誰もいなくなってるんじゃないかと心配で、後ろを振り返る必要なありません。
だからももクロさんたちは、前だけ見ていて。